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『瞬間経絡現象と原穴診の本治法』3 メルマガ基礎編の内容です
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    こんにちは田中です。


    前回は五臓六腑の診断ポイントであり、治療ポイントでもある

    手首、足首付近にある『原穴』を診察し、

    どなたでも経脈の流れの順番を利用すれば、

    その場で『瞬間経絡現象』で再現できる『原穴診本治法』のお話をしました。

    また、

    「五行図」と「経脈流注」の関係が逆になっていることをお話しました。

     

    今回はその実際のからだで確認しながらの具体的な

    『瞬間経絡現象』の再現をしてみたいと思います。


    まず凝りや硬結についてです。
    鍼灸師や治療家になったばかりの方でも、
    凝りや硬結といわれるものを見つける
    のはそれほど時間がかからないと思います。

    有名なツボでは

    LI04 合谷 Hegu、
    ST36 足三里 Zusanli、

    肩こりなら

    GB21 肩井 Jianjing

    などのわかりやすいツボですね。

     


    この凝りや硬結が出現しやすいといわれるツボのうち、

    合谷や足三里は多気多血の陽明の経穴です。

    気血が豊富なところで凝りや硬結が現れやすいツボです。


    今回はその中の、『合谷』を例に実際に『瞬間経絡現象』の本治法で

    みてゆきます。

     

    まずはじめに、

    今現在のご自身のからだで右と左の合谷の左右差(虚・実)を比べます。

    左右のどちらに皮膚の脹り、硬結があるか?

    逆に、

    左右のどちらに皮膚の脹り、筋緊張などがないか?

    を比べます。


    簡単にいってしまうと、左右の凹凸でも構いません。

    実際の見た目、触れたり、軽く指で圧迫でも何でも構いません。

    どちらが虚・実か判断します。

     

    そして、例えば右側の合谷の方が脹りや硬結があり「実」(凸)で、

    左があまり脹り感がない「虚」(凹)になっているとします。

     


    この右側の合谷の「実」(凸)を、

    どこかに鍼をして、『瞬間経絡現象』で

    消失または半減することを確認します。


    合谷が「実」だから合谷に鍼をする。

    ではない方法でおこないます。


    遠隔部位で硬結を取り除いたり筋緊張を緩めます。

    ------------------------------------------

    なぜ遠隔部位がいいか?

    というと「実」に鍼をしても消失または半減させるには上手い先生でも

    難しいし気を使う方法だからです。このことはリスクが高いということになります。

    それよりも、もっと簡単にリスクが少なく、効果が高く、鍼数が少なくできる。

    さらに名人技でなくても誰でもできる方法を、まずは選びます。

    そして全身的に大きく身体を変えることができる、本治法というやり方です。

    患者さんに与える苦痛や違和感、痛みがなく簡単にできる方法が

    あるからです。まずはそれを行います。

    合谷は必要とあればいつでもできます。

    ------------------------------------------

    話を戻し、

    遠隔部位でも近くの同じ陽明大腸経の経脈上で行うとすれば、

    曲池などが有名です。

     

    それではからだ全体をもっと大きくみて実際に別の経脈、

    経脈上の上流・下流関係を使うとしたらどこがいいでしょうか?

     

    その前に大事なことを一つ、

    ===============================================
    手の陽明大腸経は手の太陰肺経と陰陽のペアの関係です。

    まずはこの陰・陽を一つのものとみなします。
    ===============================================


    そして手の陽明大腸経の上流にあるのは、

    ・足の少陽胆経と足の厥陰肝経です。

     

    手の陽明大腸経の下流にあるのは、

    ・足の陽明胃経と足の厥陰肝経です。

     


    今回の合谷穴は陽の経脈(手の陽明)であるので、

    ・上流は足の少陽胆経、

    ・下流は足の陽明胃経 と同じ陽経の関係なので密接です。

    ですので陽経を使います。


    そして、

    ・上流の足の少陽胆経の刺鍼で補法、

    ・下流の足の陽明胃経の刺鍼で瀉法

    というからだ全体を経脈の流れでみた本治法ができます。

     


    具体的な経穴を出して答えをいいますと。


    まず、


    右の合谷が「実」(凸)なので、


    まず、

    左の陽陵泉(合土穴)を補い、

    右のレイ兌 (井金穴)を寫す、


    ことが理屈の上での一つの選穴になります。

     

    ・『大事なポイント』

    このことをまとめると、

    ============================
    上流の経脈の五行の母穴で補う。

    下流の経脈の五行の子穴で寫す。
    ============================

    だけです。

    この原則で12経脈のすべてのバランスがとることができます。

    他の原穴でも一つずつ丁寧に確認してみてください。

     


    ---------------------------------------------


    少し難しく頭の中がごちゃごちゃしてしまうかもしれませんので、

    同じようなことを少し簡略化した方法と手順をご紹介します。

    実際の臨床ではこのような感じが多くなるかもしれません。


    1 右の合谷の「実」(凸)を確認したとします。

    2 左右の陽陵泉の虚・実をみてみます。

    3 虚の側の陽陵泉に一鍼目、次に「実」の側の陽陵泉に二鍼目の順番です。

     

    以上で(通常のからだ)の場合は、『瞬間経絡現象』が起こります。


    実際に先ほどの右側の合谷の「実」が

    緩んだのを確認できたでしょうか?

     

    仮に左側の合谷が「実」でも、左右の陽陵泉の虚から行えば同様に行うことが

    できると思います。

    これは経験の浅い方でも要領さえわかれば、

    どなたでもご自身の鍼で比較的簡単にその場で実感できます。

     

    ---------------------------------------------

    それと、

    (通常のからだ)の場合といいましたが、

    (通常ではない)場合というののほとんどは「表寒」があり、

    体表(皮膚)の発汗がしずら状態のときが大半です。

    カイロプラクティックのキネシオロジーでいうスイッチングというものと

    似ていて、身体感覚が鈍く、怪我を起こしやすい身体の状態と同様な状態です。


    感覚異常(過敏、感覚鈍麻、感覚消失など) があると

    私達の身体感覚がわかりずらくなるということが原因のことが多いです。


    散鍼や火鍼、軽擦(乾布摩擦様)で表寒を抜いてあげてから行うと

    わかりやすくなります。


    ---------------------------------------------


    時代が異なれど、

    以上のことが多くの人ができるようにするために鍼灸の理論はつくられました。

    学ぶ人にわかりやすく伝えるために『素問』や『霊枢』を書きますと
    前文にも書かれています。

    同様に私の書くことで誤解を生じないように願っています。


    今ままでのところは経脈の順番(流注)の話なのですが、

    昔の人たちの偉大な発明というか、
    きっと何度も試行錯誤を繰り返してきたと思われますが、
    とにかく経脈の順番を決めてくれました。

    そして今の私達がシンプルな12の経脈の状態や経穴の状態をみて
    身体を自然な状態に調えることができるようになっているというのが
    凄いことなのです。

     

    ですので誰でも理屈を知って習得すればできるものなので、

    きちんとした学問であり、『黄帝内経』は醫學書と呼ばれます。

    経脈の順番は鍼灸の学生さんでしたらみなさんもう十分ご存知です。

    また覚えるとしてもそんなに時間のかかるものではないものです。


    ぜひ日々の臨床に経脈の順番を応用してみてください。


    ---------------------------------------------


    私の今回話したことは、

    経脈の順番の補・瀉でからだ全体を調える本治法の一つの例です。

    経脈の流れがわかればその場でその一鍼の確認ができます。

    逆にいうと、自分のしている鍼がからだのどこに影響を与えているのかが

    確認できないということは、鍼灸や手技療法が醫学ではなくなり、

    まったくもって雲を掴む世界となってしまう可能性があります。

     

    そして、『瞬間経絡現象』を基本にしてさらに経験をしてゆくことで、

    様々な鍼やお灸の方法、脉診をはじめさまざまな診察法などの

    ことも確認することができるので次第にみえてくるようになってきます。

     

    このようなことをこれからも少しずつ書いてゆこうと思っています。

    もし何かわからないことや質問などがあれば

    以下のメール宛にお気軽に書いてみてください。

    m-tanaka@feel-hariq.com

     


    『瞬間経絡現象』何度かやってみれば必ずどなたでも必ずできるものです。

    毎日ご自身の体調チェックにもなりますので、

    ぜひ練習して体感してみてくださいね(^^ゞ

     

    次回は、

    上下、左右、の虚・実のみかた と 繆刺、巨刺 などの

    反対の刺鍼が効果的。

    というお話を圧発汗反射のことと関連づけて書いてみようと思います。


    <(_ _)>

     

    | まんひゅ〜 | 16:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
    『瞬間経絡現象と原穴診の本治法』2 メルマガ基礎編の内容です
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      こんにちは田中です。

       

      前回は五臓六腑の診断ポイントであり、治療ポイントでもある

      手首、足首にある『原穴』を利用し、

      『瞬間経絡現象』で再現できる『原穴診本治法』というものを

      紹介させていただきました。


      施術自体の大雑把な流れは以下のほうを目にして頂ければと思います。

      ↓ ↓

      http://kyushindo.feel-hariq.com/genketsuchiryo.html


      今回は、この施術法で必要となる鍼灸の理論的なことの説明をします。

       


      まず専門学校を卒業された方でしたらみなさんおなじみの、

      「五行図」と「経脈流注」(経脈の流れの順番)の関係についてです。

      さまざまな先生方がこのことについて説明されているものもあるので、

      この「五行図」と「経脈流注」の関係について

      ご存知の方もいらっしゃると思いますが、このことが鍼灸、とくに経脈の
      流れを利用した施術にはとても基礎的で大事なことがらになります。


      まずはこちらのことを説明します。


      ※ 東洋医学の根本原理の気血の流れと臓腑の関係についてです。


      ◆「五行図」の相生関係をみてみます

      木 → 火(相火) → 土 → 金 → 水

       

      臓腑でみれば

      肝・胆 → 心・小腸 → 脾・胃 → 肺・大腸 → 腎・膀胱


      --------------------

      一方、


      ◆経脈の流れの順番

      金 → 土 → 火 → 水 → 相火 → 木

      経絡の流れと臓腑に入る順番でみれば

      肺経 → 大腸経 → 胃経 → 脾経 → 心経 → 小腸経 → 膀胱経 → 腎経 → 心包経 → 三焦経 → 胆経 → 肝経

      となり再び体幹の三焦から肺に戻る循環となっています。


      --------------------


      すべて一致とはいかないのですが、

      ほとんどが「五行」と「経脈の流れの順番」の関係が逆になっています。

      (厳密には異なる箇所があるのですが、それはのちほど説明します)


      大事なのはまずはこの「五行」と「経脈の流れの順番」をみると、

      『逆になっている関係』を知ることが大事なことです。


      -------------------------------------


      難経の「五行」を使った本治法のことを簡単に説明しますと、

      まず「五行」の相生の関係を母子関係とみたて、

      例えば、脾・胃の病証とすると、

      母である、心・小腸 経脈を 補ったり、

      子である、肺・大腸 経脈を 瀉したりして、

      からだ全体を5つにみたててバランスをとることになります。


      -------------------------------------

      同様のことが、

      経脈の流れの順番でもおこなうことができます。


      「五行」の

      木 → 火(相火) → 土 → 金 → 水



      「経脈の流れの順番」である、

      金 → 土 → 火 → 水 → 相火 → 木


      を逆になっていると想定して置き換えます。

       


      そして、
      母子関係と呼ぶと同じなので混乱してしまうので、

      経脈の流れの「上流」と「下流」と呼ぶことにします。


      -------------------------------------

      そして経脈の流れを一本の循環する流れとして捉え、

      例えば、脾・胃の病証とすると、

      上流の経脈である、肺・大腸 経脈を 補ったり、

      下流の経脈である、心・小腸 経脈を 瀉すことになります。


      -------------------------------------

      同じ、脾・胃の病証を、


      ・ 難経の「五行」を使った本治法では、

      母である、心・小腸 経脈を 補う。

      子である、肺・大腸 経脈を 瀉す。


      ・「経脈の流れの順番」を使った本治法では、


      上流の経脈である、肺・大腸 経脈を 補ったり、

      下流の経脈である、心・小腸 経脈を 瀉すこと。


      と「補・瀉」の概念が逆転しているだけで同じことになります。

       

       

      先ほど話しましたように、完全に逆転していない箇所があるのですが、

      これは、「五行」という物事を『5つに分類』してみたてるものと、

      12の経脈を陰陽同じにすれば 『6つに分類』してみたてる

      ことの矛盾が出ていることになるだけです。

       

      どちらもきちんとした施術法に従えば身体は変化します。

      これが「五行」と「経脈流注」の関係です。


      この経脈の『流注の順番』がとても大事なことといわれます。

      その上流と下流で補・瀉を行いからだ全体の大きなバランスをとる
      というのが本治法の考え方になります。


      一本の絶えず循環し続ける生命エネルギーである気血の流れを
      十二の臓腑、陰陽に分けたことです。


      この『経脈の流注の順番』をシンプルなかたちで過去の人々が決めてくれたおかげで、

      私達、後の鍼灸師も同様な治療が再現できるようになっています。

       

       

      次回もこの『経脈の流れの順番』に従って、

      『瞬間経絡現象』で行うことのできる、

      『原穴診本治法』の説明させていただきます。 <(_ _)>

      | まんひゅ〜 | 16:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
      『瞬間経絡現象と原穴診の本治法』1 メルマガ基礎編の内容です
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        こんにちは、田中です。

        これから『針灸療法講座』〜 鍼灸療法の実践 〜

        ということでメールマガジンを書いてゆこうと思っています。


        早速、まず第一回目からは、

        『瞬間経絡現象 と 原穴診の本治法』

        というテーマで話をさせていただこうと思います。


        鍼灸師の方はこの『瞬間経絡現象』という言葉は一度は
        耳にしたことがあるかと思います。

        間中喜雄という先生が鍼の反射的な即効性について説明されたことなのですが、


        ある場所の凝り(硬結)を確認したのちに、その場所以外の経絡で繋がる
        ところに刺鍼すると、その凝りや硬結が、半減〜減弱、消失するという現象が
        あるということでした。

        簡単にいうと凝りや硬結をやわらげるには古典的な経絡論でつながっている、
        ある場所に鍼などの刺激を加えることで鍼灸理論は成り立っているといえます。

         

        まずこの講座では、この瞬間経絡現象を自身のからだで体感して、できるように
        なることが基礎的な目標です。

        経脈を利用した施術を体感していつでもできるようにするということです。

         

        この鍼の現象である『瞬間経絡現象』というものがあることで、
        一鍼、一鍼ごとにからだの変化が確認できることです。
        このことにより、今打った一鍼が効果がどれだけ起こせたか?
        という確認ができる他、病因や病証がわからなくても一鍼ごとに確認することで、
        病証自体がみえてくるということにもなります。

        ----------------------------

        しかしこの『瞬間経絡現象』というものを難しくしていることの一つに
        またこのことにこだわらなくとも、様々な手技療法の理論と実践を学んでいく上での
        難しさについていうと。

        体にある刺激を加えるとそのことですでに体が変化します。が、

        その場で2度同じことができない。変化したものは変化してしまっているので、

        刺鍼前の状況とは変わっている身体になっている。

        ということです。


        全く同じ条件をつくるということが難しくなり、再現性をその場で確認しずらいということです。

        また、別の硬結をみつけてそれを他の場所でということができれば可能なのですが。

        はじめのうちは、せっかく体の状態が変化しているのに気が付きにくく、
        気のせいかも?と見過ごしてしまうことも私にもよくありました。

         

        鍼灸や様々な手技の本では様々な反射ポイントや体表(皮膚)反射が書かれています。
        でも実際そのとおりに行なってみてもうまくゆく時とうまくいかないことがある。
        そのようなことを繰り返すうちに次第に収集がつくかくなり、からだのことが
        よくわからなくなるということは、はじめのうちは誰しも経験します。


        そのようなことで、
        今後話を進めてゆくなかではわかりやすく、だれでもできる、鍼灸の古典の経絡論
        をもとに、その場で体の変化を確認できるものとして、

        まずは、

        『原穴診の本治法』


        というものをやってゆきたいと思います。


        原穴の異常をみて、遠隔部位に鍼をして、
        その場でからだの変化やツボの変化を確認する。

        というものです。


        使用するのは、専門学校を卒業している方でしたら、どなたでも知っている

        五臓六腑の代表点の原穴です。


        この施術法(本治法)自体、学生さんが行なってもほとんど体感でき、習得するのに
        それほどの時間は要しません。

        しかしこれを『瞬間経絡現象』で再現できるようになると、古典の書物の内容のとらえ方がグッと身近になり、さまざまな施術や診断のこともかなりのことが理解できるようになります。

         


        次回ももう少し前置きが続きますが、

        施術自体は以下の説明でとてもシンプルです。

        ↓ ↓

        http://kyushindo.feel-hariq.com/genketsuchiryo.html

         

        以上をみるだけで慣れている方はなんとなくできるかもしれません。

        わからない方でも一度目を通して頂ければ、
        今後の説明もわかりやすくなると思いますのでお時間があるときにでも、
        読んでみて下さ〜い^^

         

        次回以降、このことの具体的な細かな内容が続く予定です。

        よろしくお願いいたします<(_ _)>

         

        | まんひゅ〜 | 16:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
        『鍼灸療法講座』 メールマガジンをはじめます
        0

           

          田中です。

          いつもご購読頂き、ありがとうございます。


          ブログなどもここ暫くは日々の臨床や雑務に追われる状況で、進んでいなかったのですが、

           

          今後は少し、『鍼灸療法の実践面』について書いていこうと思っています。

           

          このブログ上はどちらかというと私の日常考えていることなどを書き綴っているものなので、

           

          直接的に『鍼灸の実践面』というものではございません。

           

           

           

          今回はメールマガジンという土俵で、治療家の初心者の方に向けて書かせて頂こうと思います。

          内容のほうもこのブログとは異なり、

           

          鍼灸師、手技療法などの専門家向けです。よって医学用語や専門用語が多くなります。

          わかりずらいことはその都度、何度も説明をしてゆくつもりです。

          (一般の方でも専門家向けの内容ということをご理解頂ければ、登録して頂くのは歓迎です)

           

           

           

          ================================

           

           

          鍼灸療法やツボ療法、経絡のことを学んできたがそれらの理論を


          「陰・陽」や「五行」という東洋医学の矛盾するような事柄を

          どのように考えたらいいかよくわからない。


          鍼灸や漢方の考えかたをどのように実際の施術に活かしていいのかよくわからない。


          東洋医学では実際の施術ではどのようなからだのみかたをし、施術をしてゆくのか?


          そういったことをお伝えしてゆきます。

           


          実践の中身は濃い内容ですが、シンブルにわかりやすく、
          なるべく早く日々の施術に活かせる内容にしてゆくつもりです。

          宜しくお願いいたしますm(_ _)m

           

           

          =============================


           『鍼灸療法講座』 ほうらい鍼灸 九鍼堂 メールマガジン

           

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          =============================

           

          | まんひゅ〜 | 21:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
          寒熱について 『陰極まれば陽と転ずる』
          0

            人と人が接する臨床というものでは、「陰極まれば陽と転ずる」ということばがあるように、
            例えば冷えと熱がどちらなのか?

            ただ闇雲にみてしまうとなにも判断がつきません。


            細かくみれば常に揺れ動いてバランスを維持しようと変化しているのです。
            そこには人それぞれの気持ちや感情で大きく異なる要素が含まれています。

             

            このような「寒熱を正常に戻したい」という概念だけに囚われて病を治めようとしてしまうと、
            何をしていいのかを見失います。根本的な基本的な大事なことを見失っている状態です。

             

            そういう時は違う角度で捉えます。わかりやすいところをみつけます。
            (細かくからだに聞いてゆくと必ずわかりにくいことを気にするよりも、
            ハッキリとだれがみてもわかりやすいところが必ずあります)


            大概は全く異なる別のシンプルなみかたを探します。
            時間はかかるかもしれませんが、過去にさかのぼるようにそこから順番に筋道を追ってゆけばいいのです。


            寒熱というみかたを一旦保留して、それでは十二ある臓腑の関係はどうなのか?
            ということで進めてみる。
            (その瞬間、瞬間で変化してゆく音楽などのライブ演奏のような感覚の柔軟性も大切です)


            まさしく、からだの不調を起こすのは12の臓腑とそれを維ぐ気の流れの盛衰です。

            人は感情の動物ともいわれます。


            未病といわれる日常おこりがちな症状やからだの違和感を変えてゆくには、
            とくに心の状態と呼吸、からだの使い方、時間的なものも含めた繊細さも要求されます。


            十二の臓腑のバランスを乱れを調えるということで健康状態を維持できると
            考えているのが東洋医学(鍼灸・漢方・気功)の考えです。

            病を治める基本は、臓腑=からだや動きなどのバランスが同じ一つのものとみていることです。


            少しわかりずらいのは、各々の臓腑のバランスを取るために、その臓腑には直接には鍼を灸をしません。

            背中やお腹にある各々の臓腑のツボには鍼やお灸をしますが、主眼を置いているのは、
            そこに繋がる手や足のツボも含めた流れや維がりです。


            東洋医学(鍼灸・漢方)は様々な角度からみることのできる豊富な診察法が描かれています。
            また治法の段階では、スッキリとシンプル描かれています。


            話は少し戻りますが、仮定して捉えたことがもし間違っていても
            (ある事柄が間違っている、当っているという判断は、
            自然であるからだの側からみれば、あくまでもその人のみかたであり、
            もしかしたら傲慢で殆いことなのかもしれません)

             

            何かをすると、とにかくからだに変化が起こる。

            例えば動けば汗が出て、心臓の鼓動が早くなるのが脈をみれば誰でもわかります。
            みる前にまずは、こういうからだなので、こういう脈をしているのではないか?
            というような何か予測というか前提があります。


            今の季節は冬だから沈んだ脈でもよい、夏に沈んでいたら冷えているなど様々です。

            それが動いていたのに脈が細く、力がない。などというときは、
            何かからだがおかしいとみてゆきます。


            その変化の箇所を見つけやすいように診察やツボといとうものが語られていて、
            その見つけやすい順番にしたがってゆくと、からだの状態(病態)や病因と言われる病気の原因も浮上してくる。

            そのようにつくられていると感じます。

             

            一つ注意しないといけないことは、見つけたところを変化させるには、
            からだ全体をみて、異なるところに鍼やお灸をすること。
            からだを一つの繋がりとしてみることです。


            そうすればある筋肉のつっぱり感と内臓の不調との維がりが経脈というもので維がっていると確認できます。


            これが『病が左にあるときは、右に取り。病が上にあるときは、下に取る』という、
            内臓を治すためなのに、手足のツボが重要になるということです。

             

            同様に右の手首の動きをよくするために、左の足の足首にあるツボに鍼をしたりということです。

            なぜこういう方法が続いてきたのかというと、やってみればわかるのですが、
            からだの違和感が少なく変えたいものを大きく変えられるからです。


            テコの原理のようなものでょうか?


            最小限の刺激で最大の効果を出すという方法です。

             

            要するにこちらのほうが簡単でやりやすいことなのです。

             

            これらは経絡の流れにきちんと従って行えば、通常ではどなたにも起こる現象です。

             


            仮りに進めること、これは私達の何気ない日常では普通です。
            習慣というもので歯磨き一つとっても、からだで無意識的におこなっています。
            たまに意識的に考えて歯を磨いてみる、動いてみる。


            歯茎と胃腸の関連がみえてくる。口の中の粘つきや唾液の質と、頭部の発汗量などの
            関係もみえてくる。


            もちろんそれだけではないのですが、それ自体が自分のからだとの対話です。

             

            間違っていると感じれば、いつでも方法は変えられます。


            からだは朝と夜では異なります。そういった一見複雑なからだというものを、
            シンプルにみてその治法が確立しています。

             

            何気なく自然というものに対したときに、難しく考えてしまうクセは、
            僕自身の側にあったことに気付かされるます。


            考えてもわからない時は、「何も決めないで時の流れのまま」
            というのもある時期は必要なのかもしれません。


            きっといい答えがみつかるはずです。

            | まんひゅ〜 | 17:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
            パソコンの作業と肝鬱気滞
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              ドリームウィーパーでサイト管理をするのに、
              全体の構成やサイトの整理の仕方を整えられるようになるのに、
              10年以上かかってしまったかもしれない。
              昨年よりパソコンのosをlinuxに変えたので、windowsを立ち上げることがほとんどなくなったのですが、
              少し細かなことをしようとすると歳のせいで頭も固くなっているせいか、
              どうも今までのような感覚とは違い大変です。

              慣れている方は簡単にできてしまうのかもしれませんが、
              こういったことに中々やる気を出せない私は(道具が使いこなせない)、
              何度チャレンジしてみてもとだんだんと頭がこんがらがってきてしまい、
              本題のやらなくてはならないことのほうが進まなくなるので、
              (やらなくてはならない本題自体すら、忘れてしまいます)

              そういった頭の中が悶々とする経験を何回もしているので、
              諦めて本題に戻らねば本題が進まないということは少しは身につけたのですが、
              整理のほうは手が付けられていなかったままの状態でした。
              冷静に振り返れば、ただ単にパソコンの中身のファイルの整理が苦手ということになるのですが。。。

              そういった患者さん本来が私に伝えたかった大変さを、我が身につまされたことで、
              いかに日々の患者さんの訴えを真摯に受け止めていないのか。
              毎日反省する次第です。

               

              よく患者さんからは、こういったパソコンのわけわからない大変さについてのことを話されます。

              こういったときは、肝郁(肝鬱、肝気うっ滞)という状態です。
              からだ全体の気の流れがリラックスして流れていない状態のことをいいます。
              心と内臓の働きは密接で、ちょっとした緊張感やイライラ、魂をつめたことをしているときは、
              肝臓の力が大事なのですが、いかんせん強くなりすぎる(がんばりすぎる)きらいがあります。
              一つの興奮状態のようなもので交感神経が強く働き頭に気が昇っている状態で血圧も高くなりがちです。

              こういったときは頭だけでなく足腰を積極的に使ってあげて、血液や意識を足の指先まで戻してあげます。
              お腹のほどよい緊張がなく呼吸もうまくいっていない状態から頭の気を引き下げると例えたりします。
              これが本来お腹にあるべき「丹田」の気が、頭に昇っていることの表現です。

               

              このパソコンのようなことは、一度スッキリ整理がつけばそれほど苦がなくできるようになるのですが、
              とにかく融通が利かないというか、パソコンというものはこちらは親しくなれたつもりになっていても、
              かなり反応はお堅いです。


              鍼灸と同じ陰陽論を応用したもののハズなのに、なぜにこうも気が利かないヤツなのかと、
              怒りを向けたくなります。
              電気のことや機械というものも、一度はわかったつもりのようになるのですが、
              結局よくわかりません。


              世間では人工知能などと騒ぎたてておりますが、私自身未だに本当にお互いが理解できるのか疑問です。
              人間自身、自分のこころとからだのことがまだまだわかっていないままの『見切り発車』なのですが、
              よくするのも悪くなってしまうのも私達自身にあるのかもしれません。


              話を戻し、ロボットはともかく人間以外のものとのコミュニケーションということで考えてみても、

              それでは私自身、盆栽やうちの猫、身内の間でさえ本当に理解しあえているのか?

              もしかしたらそれは私の錯覚かもと。。。。(恋愛なども同様なことなのかもしれません)

              そのような深淵なテーマへと私を導きます。

              毎日そう信じて日々過ごすしかないと言い聞かせている身上が私なのですが。。。

               

               

              そういった一見考えてもしかたがないこの矛盾というか不条理なことは、
              日々の生活のでは普通にあらゆることに連続して起こっていると気付きます。

               

              そうかもしれないし、そうではないかもしれない。

              そういったことでは全く何も進まなくなり困ってしまうので、
              とりあえずスタート地点をどちらかに仮定して進めるのが陰陽論です。


              かりにそうだということで進むのが陽的と考えて、次の展開に進んでみる。
              かりにそうではないということで、陰的と考えてて、次の展開に進んでみる。

              これは易という占いの考え方も同様です。


              太陽と月のような朝と夜のことでは、太陽を陽として、月を陰とすることを決めることに多くの方は
              それほど違和感がないかもしれません。

              しかしそう決められていると言われても納得できないと先に進めなくなる
              そういうものが人間本来です(当たり前です。自然の側からみれば、人間が創りあげた理屈なのですから)。


              陰陽論で考えるときには、
              まずはじめに陰陽の区別をすること自体を、仮りにそういうことだというふうに考えるのだ。
              というハッキリした自覚のようなものが必要です。
              「仮に」ということでいかないと何もみえず進まなくなってしまうこと多々あります。

              そして、「逆もまた真なり」

              このような柔軟性をもってあたらないと、陰陽論自体が生きたものでなくなり、
              気というものを頭だけで考えて深読みしすぎて、眼の前のものを目を向けることを忘れさせます。
              単なる思い込みや迷信になる危険性もあります。

              | まんひゅ〜 | 17:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
              終末論 と 『列子』 杞憂 
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                終末論 と 『列子』 杞憂


                杞憂(きゆう)という言葉の元は『列子』に出てくるものといわれています。

                昔の中国の「杞」という国の人が、天が落ちてくるのではないか、大地が壊れてしまうのではないか?
                と不安になってしまう男の話です。

                今の言葉でいうと、世界の終末をあまりに心配して、夜も眠れなくなり食事もすることができなくなったという、
                話で、『列子』の天瑞篇に書かれているものです。
                故事として有名なもので、よくあれこれと無用な心配をする人のことを嘲笑の意味を含めて「杞憂」というようになったとのことともいわれています。

                昔これを読んだ時は、故事でいうところ同様、それほどの意味は感じず、単なる故事上の言葉でしかなかったのですが、東日本大震災、原発事故、ネット上の陰謀論などというものを含めて読んでみると、地震以前に「杞憂」を読んだ時の自分と今の自分とでは明らかに異なります。私にとって「杞憂」という言葉は、単なる故事の意味でいうところの「杞憂」という意味ではなくなってしまった気もします。
                あの当時を振り返ると鴨長明の『方丈記』もやはり今までとは明らかに違ったものになった気がします。

                故事の例えのように、

                「単なる心配性の男のことを馬鹿にした故事の中の笑い話」

                とだけでは済まなくなりました。他人事ではなくなってしまったようにも感じます。陰謀論や終末論にはまってしまうということは今の世の中の状況、私達自身の生と死をも含めて考えると、決して笑い話の例外的なことではなく誰の心の中にも多かれ少なかれ生じる時代を超えた普遍的な心の状態なのかもしれません。

                『列子』自体その後にも天地自然の法則、人の生と死などを説いているのですから、まずはこの心配性の男になったぐらいの気持ちで読み、再び故事のいう笑い話のような心境に一巡してきたときには、より一層の感銘を受けるものなのかもしれません。





                ということで『列子』です。

                老荘思想といわれているものには、まずは『老子』『荘子』などが一般的かもしれません。

                私自身は、『老子』→『荘子』→『列子』の順で読んでいったのですが、鍼灸や東洋医学の思想的背景を補うものとして、最もわかりやすいと感じたのは『列子』でした。『老子』もわかりやすいとは思うのですが、政治的な部分なども多々あり、私にとっては何かどうしてもそのまま医学的な思想の部分には直接繋がりを感じるのは難しい気もしており、若い頃の私にはその間に何かもう一つ欲しいといつも感じていました。

                また『荘子』は「胡蝶の夢」に代表されるように、夢かうつつか、うつつか夢かの世界観ですので、とても文学的というか芸術的な描き方(あの当時にあのようなものを書けるくらいですから、鍼灸というものが当時稚拙な医学ではなかったのかと私なんかは思っていましたが、そのことを考えるだけでも十分吹っ飛びます。きっと恐ろしいくらいの感性を持った鍼灸師たちがウジャウジャいてその人たちがあれだけのものを完成さてたのだと推察します)
                その文学的・感性的な内容は初めて読んだ私には解説がなければはさっぱりよくわからない、
                「?」の世界でもありました。



                そしてその後『列子』を読んだ時に思ったことは、まずは『列子』から読むべきだった!
                でした(/_;)
                『黄帝内経』には、東洋医学の中の思想的な核心部分はダイジェスト的にくどくど説明がなく、
                わかりきった前提の上で語られている鍼灸の技術書です。(ですからそのバックボーンになっている考え方が、
                自分の中でしっくりいかない場合はなぜそうなのか?と探る必要がでてきます)
                『列子』を読むとその中でも老荘的な部分などの疑問は一気に解けた思いでした(東洋的な生命観や自然観が理路整然とわかりやすく書かれています。
                その意味で肩の力が抜ける気もし、そしてなにより『列子』には何か間抜けさやユーモアさを感じるので、
                肩肘を張らずに気楽に楽しめる感じがするのです)。

                気楽さということでは本来は『荘子』がそうなのでしょうけど、文学的な表現なので黄帝内経に登場するような
                医学用語とは少し異なる漢字が多かったりで、元々漢詩などの文学教養がない私にとっては
                どうしても慣れるまでは難しく感じてしまいました。

                そういった私のように若いときに漢文に親しみがなかった人でもわかりやすい。
                今回は老荘思想の中でも『列子』は誰でもわかりやすいものだ。ということを書きたかったのですが、
                内容的にもとても面白いです。
                (しかしいきなり漢文ではいやになります(/_;) まずは現代訳でわかりやすいものに限ります)



                そしてその面白さを説明するのは私には難しいと感じたので、
                今回は助けを頂き、加藤徹のホームページを紹介させて頂きたいと思います。

                NHKワールド・ラジオ日本の中国語[http://www.nhk.or.jp/chinese]の番組
                「波短情長」を担当している先生ですが、
                漢文の研究をされている先生で多くの漢文や中国文化などの本を出されています。

                私が初めて読んだのは『漢文力』というものでしたが、
                これがとても面白く、ただ単に苦痛だけだった漢文を読まなければいけないという日常から
                解放してくれたとても有り難い本です。

                この本の中の目次をめくってみると、

                第一部 内面と外面
                第一章 自分という奇跡をかみしめよう
                第二章 自己はどこまで他者を理解できるか
                第三章 現実と幻覚はどこまで区別できるか
                第四章 この世のすべては言葉で表せるのか
                第五章 魅力と恐怖の秘密

                第一部だけ眺めてもとても興味のそそるタイトルばかりです。



                その他、今私の目に引くものをあげてみます。

                第二部 あの世とこの世
                第二章 死者は二度殺してはならない
                第三章 生まれてくる不思議、死んでゆく意味
                第五章 姥捨山と二十四孝

                第三部 自然と宇宙
                第一章 大自然の掟
                第二章 宇宙人の目

                第四部 自分を生かす
                第一章 学問の落とし穴

                第五部 文明のからくり
                第一章 政治という怪物
                第二章 文明の明と暗
                第三章 中国古典の戦争論


                これらを古典文学のことだけではなく、キティちゃんの顔に口がないのはなぜ?だとか、オカルトの世界、コミックマーケット... 現代の私達の周囲にあるものとの関係などを例に出し、一見堅苦しく難しい漢文の世界をわかりやすく教えてくれます。

                上の第一部 内面と外面 の
                第三章 現実と幻覚はどこまで区別できるか では、

                やはりはじめに少し話した、
                『荘子』の「夢為胡蝶」夢に胡蝶と為る ですが、

                その後には、禅僧の臨済(?〜897)が弟子達に言った言葉や
                ヒラリー・パトナムという人の「培養槽のなかの脳」という思考実験の話。
                幻肢という(事故で手足を失った人のないはずの手や足の痛みや痒みを実感する)ことへまで話が飛び(星新一)
                私達が感じること、思うこと、そして死後の世界、大自然の掟、文明のからくりへと...。

                これらの内容を漢文で書かれた様々な書物のことを引き合いに出し、さらに今の風潮や様々な思想家などの
                話を交えてわかりやすく教えてくれます。(普段の大学での講義を元に書いたものだそうです)
                是非機会があったら『漢文力』も読んでみてください^^



                そして、以下は加藤徹のHPの中にある、

                『列子』抄 http://www.geocities.jp/cato1963/PKJlzc.html

                という『列子』の現代語訳です。


                この加藤先生の現代語訳の構成を読んで気付いたことは、『列子』でありながら
                SFの星新一のショート・ショートを読んでいるような不思議な感じがすることです。
                後でわかったのですがまさにそうでした。

                元々、『列子』自体には篇名しかないのですが、
                これは加藤先生のつける題名にあるのかもしれません。

                『列子』湯問第五 を、

                『列子』湯問第五 アンドロイド

                です。

                最後には、

                [レプリカント、フランケンシュタインの怪物、西行法師、etc]

                とあります。


                『列子』を上質なSFのショート・ショート風に置き換え、
                とても古典の難しさを微塵も感じさせず、むしろこれだけ読むと古典ではないように
                読みやすくしてくれています。

                是非お暇な時間があるときには、ゆっくりと加藤先生のHPを訪れてみて下さい^^

                『列子』抄 http://www.geocities.jp/cato1963/PKJlzc.html

                加藤徹のHP http://www.geocities.jp/cato1963/index.html

                中国古典からの発想 http://www.geocities.jp/cato1963/china-ideas.html
                ↑こちらには星新一さんのことも書かれているものです

                『その他参考』

                こちらは『荘子』です。
                松岡正剛の千夜千冊 726夜『荘子』荘子|




                私のほうでは読みたくないような原文と書き下し文ですが、いつもすみません^^;

                「杞憂」の部分

                杞國、有人憂天地崩墜、身亡所寄、廢寢食者。又有憂彼之所憂者。
                因往曉之曰:「天積氣耳、亡處亡氣。若屈伸呼吸、終日在天中行止。奈何憂崩墜乎?」
                其人曰:「天果積氣、日月星宿、不當墜耶?」
                曉之者曰:「日月星宿、亦積氣中之有光耀者。只使墜、亦不能有所中傷。」
                其人曰:「奈地壞何?」
                曉者曰:「地積塊耳、充塞四虛、亡處亡塊。若躇歩跐蹈、終日在地上行止、奈何憂其壞?」
                其人舍然大喜、曉之者亦舍然大喜。
                長廬子聞而笑之曰:「虹蜺也、雲霧也、風雨也、四時也、此積氣之成乎天者也。山岳也、河海也、金石也、火木也、此積形之成乎地者也。知積氣也、知積塊也、奚謂不壞?夫天地、空中之一細物、有中之最巨者。難終難窮、此固然矣;難測難識、此固然矣。憂其壞者、誠為大遠;言其不壞者、亦為未是。天地不得不壞、則會歸於壞。遇其壞時、奚為不憂哉?」
                子列子聞而笑曰:「言天地壞者亦謬、言天地不壞者亦謬。壞與不壞、吾所不能知也。雖然、彼一也、此一也。故生不知死、死不知生;來不知去、去不知來。壞與不壞、吾何容心哉?」



                杞の国に、人の天地崩墜して身寄する所なきを憂え寝食を廃する者あり。又彼の憂うる所を憂うる者あり。
                因って往いて之を曉(さと)して曰く、「天は積気のみ、処として気なきはなし。若(なんじ)屈伸呼吸して、終日天中に在りて行止す。如何(いかん)ぞ崩墜を憂えんやと?
                その人曰く、「天果たして積気ならば、日月星宿は当に墜つべからざるかと?」
                之を暁(さと)す者曰く、日月星宿も亦(ま)た積気中の光耀あるものなり。只(たとい、即、仮令たとえば)墜ちしむるも、亦た中(あた)り傷る所ある能わじと。」
                その人曰く、「地の壊(くず)るるを如何せんと。」
                暁(さと)す者曰く「地は積塊のみ。四(方)の虚(空)に充塞(みちみ)ちて、処として塊なきはなし。若(なんじ)躇歩(あしぶみ)跐踏(あるきて)、終日地上に在って行止す。奈何(いかん)ぞその壊(くず)るるを憂えんと?」
                その人舍然(しゃくぜん、釈然)として大いに喜び、之を暁(さと)す者も亦(ま)た舍然(しゃくぜん、釈然)として大いに喜ぶ。
                長廬子(ちょうろし)聞きて之を笑って曰く、「虹蜺(こうげい)や、雲霧や、風雨や、四時や、此れ積気の天に成るものなり。山岳や、河海や、金石や、火木や、此れ積形の地に成るものなり。積気なることを知り、積塊なることを知らば、奚(いかん)ぞ崩れずと謂わん?夫れ天地は空中の一細物(いちさいぶつ)にして、有中の最も巨(おおい)なるものなり。終え難く窮め難きこと、此れ固(もと)より然り。測(はか)り難く識り難きこと、此れ固(もと)より然り。その壊(くず)れんことを憂うる者は、誠に大(はなはだ、甚)遠しとなす。その壊(くず)れじと言う者も、亦(ま)た未(いま)だ是(ぜ)ならずとなす。天地も壊(くず)れざるを得ずんば、則ち会(かな、必)ず壊(くず)るるに帰せん。その壊(くず)るる時に遇わば、奚為(なんす)れぞ憂えざらんやと?」
                子列子聞きて笑って曰く、「天地を壊(くず)れんと言う者も亦(ま)た謬(あやま)りなり、天地を壊(くず)れずと言う者も亦(ま)た謬りなり。壊(くず)るると壊(くず)れざるとは、吾が知る能わざる所なり。然りと雖(いえど)も彼も一なり、此も一なり。故に生は死をしらず、死は生を知らず、来(みらい)は去(かこ)を知らず、去(かこ)は来(みらい)を知らず。壊(くず)るると壊(くず)れざると吾何ぞ心を容(い)れ(労せ)んやと。


                 
                | まんひゅ〜 | 22:51 | comments(1) | trackbacks(0) | - |
                鍼灸資生経(王贄中) あいうえお 経穴索引
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                  『資生経』(1220年)王贄中(12—13世紀)のツボの索引をつくりました。

                   『資生経』は思い起こせば、私自身のなかではじめて古典の全文を中国語簡体字から、
                  日本の漢字に打ち直しをしたものでした。

                   はじめて学生の頃、北京を訪れた時にまず購入した書は『鍼灸大成』でしたが、
                  はじめは中々読んでも意味がわからない部分が多く、
                  仕方がないのでその後すぐにはじめたのが『資生経』を旧漢字(日本の漢字)に
                  直してみようとはじめたものでした。

                   その後、せっかく全文が打ち込めたので、検索をかけて経穴の索引をつくろうと思いながらなかなかすすまず、
                  途中で止まっていたのですが、7年ほど前にたまたま書店で新しく出た『人民衛生出版』の『資生経』を手にしたところ、
                  穴名索引が巻末に載っているではないですか!(☆o☆)
                   (この時点では三分の二ほど検索は終わっていたのですが、他のことに夢中になり進んでいませんでした)

                   喜び勇んで衝動買いして(他にも『資生経』はあるので穴名索引のためだけに)帰ってきましたが、
                  どうやら全ての経穴が載っていません!
                   
                   はじめのうちは何か意味があるのか(太字で書かれた経穴のみの索引なのか?)と思ってしまいましたが、
                  冷静に考えると全てのツボがなければ索引とは呼べません(/_;)
                   またもちろん中国なので「あいうえお」ではなく、画数ごとの簡体字の漢字の検索なので、
                  日本人の私には直感的にさっとはいきません(/_;)。

                   「中国ではよくあること...」と言ってしまえばそれまでですが、仕方なくやはり自分で検索をし直し
                  つくりました。

                   各経穴ごとのスペースで区切ってある上が『人民衛生出版』の巻末にある分です。
                   スペースの下が私が追加した部分になります。

                   『資生経』の中で、ある経穴がどの病症で使われているのか?
                  を知るためにつくりましたが、
                  これを元にいろいろ使えるのでご自由にお使い下さい。

                  http://acupoint.feel-hariq.com/koten/07siseikyo_ketsumeisakuin/00ketsumei_sakuin.html

                   3回ほどは校正したつもりですが、独りの作業なので抜けがあるかもしれません。
                  もしあったときは何卒、是非お教え頂ければ有り難いです<(_ _)>


                  おまけ!
                  大瀧詠一 愛餓を(あいうえを)
                  愛餓を 前♪♪静止画
                  https://www.youtube.com/watch?v=LaH2S2dD70M
                  | まんひゅ〜 | 15:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                  類経及附翼・図翼の図の一部を追加しました。
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                    『類経及附翼・図翼』の図

                    医古籍の中の類経及附翼・図翼の図の一部を追加しました。

                    http://acupoint.feel-hariq.com/keimiyaku/ruikyozu/ruikeizuindex.html

                    経穴図や流注図からもリンクで見れるようにしてゆきます。
                    | まんひゅ〜 | 18:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                    ◆『サルの入浴は自然か人工的か?』 好転反との関係。
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                      『サルの入浴は自然か人工的か?』 好転反との関係。



                        10年近く前、ある若い女性の患者さんに、

                      「なぜ先生は、自然療法と言いながら入浴という自然ではないものを
                      すすめられるのですか?」

                      「昔の人はあまりお風呂には入らないのが自然だったのでは?」

                      ということを指摘されたことがあります。

                        彼女は芸術家でもあり、独特の感性で面白い話をよくされ鍛えられました。

                      --------------------------------------------------------------------

                        蜂の巣やアリ塚と、ヒトの造ったビルとの違い。

                      そこには『自然か人工的か?』といったボーダーはあいまいです。
                      病を癒すこと、治すこと、寿命とは?

                      そのようなことを考えるのは、
                      自然のふるまいの受け入れ難い心境(自然に逆らおうとすること)
                      から始まることなのかもしれません。


                        --------------------------------------------------------------------

                      『お風呂に入ること』は自然の中にいる動物では通常みられません。
                      猿などではテレビなどで目にしますが、(水場で羽を洗うような鳥)
                      通常どんな動物も毎日入浴に勤しむわけではないのがふつうです。

                      しかし、ある頃から私達は毎日のように入浴するようになってしまいました。
                      江戸時代くらいまでは、入浴という習慣はあったそうですが、
                      毎日きちんと入るわけではなく、多分自然の温泉場の近くに住む人以外は、
                      ほとんどは、週に一回かもしくは、月に一度、
                      場合によっては年に一度や心を清める行事などがあった時など以外に入ることは
                      あまりなかったかもしれません。

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                      『自然に近い生活』。と考えると入浴は不用なものとも考えられます。

                      (私の実家の隣のクリーニング屋さんは、薪で風呂を焚いていますが、
                      このことで自然に近いのか?遠いのか?と考えると
                      春日三球・照代の地下鉄の話のようになっていつも私は混乱してしまいます^^)



                      入浴にはまず第一に血流量が上がるということがあげられます。

                      入浴によって血行が良くなり、様々な臓器が働き出しからだにいいということです。

                      この血流量が上がるというのは、最も大事な心臓が動く(心拍数が上がる)ということです。

                      ですから『心臓に負担のある方は注意して入浴を』と言われます。

                      心臓にはとても負荷が掛かるので心臓は筋肉の塊なので運動をしなくても、
                      少しずつですが入浴で鍛えられ強くもなります。

                      持続的な軽い運動を長〜い時間できるということが持久力という体力につながります。

                      上手に行えば、

                      『運動しなくても、心臓を強くする方法』

                      とも考えられます。

                      これは、やり方や方法の問題ですが、
                      長い目でみれば一時的な酸素カプセルに入るよりいいことです。


                      運動・歩くなどもそうですが、心拍数が上がるということは、
                      日常的にあまりそのような状況にないような、例えば事務仕事などでほとんど
                      からだを使わず歩いたりするのも少ない方の場合は、
                      一日の中で心拍数がほとんど上がりません。


                      そのような方がいきなり運動などで心拍数を上げると、
                      意識できなくても血流が早くなります。
                      様々な眠っているような状態の臓器がびっくりして動き始めます。

                      全く運動をしてない状態からの運動をし始めたときのダルさ。
                      身体が慣れるのは、数日から数週間、数ヶ月かかったりします。

                      また寝たきりの状態の方の入浴はかなりの体力消耗に繋がるほど
                      からだにとっては大変なことなのです。
                      (重力に逆らって心臓のポンプが働いているのは凄いことです)


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                      治療などで起こる『瞑眩』(めんげん)といわれる『好転反』は、
                      ほとんどの場合これと似ています。

                      今まで眠っている免疫力や自然治癒力を発動させることになります。

                      瞑眩反応(めんげん)は、運動をよくしている人、よく歩く人、やシャワーだけでなく入浴を
                      日常よくおこなってしっかり心拍数を上げている人には起こりにくいということを感じます。

                      また、運動などをしていても、使わない(不得手)な身体の部分。
                      その方が使っていなかったり、動かしていない部分というのがあります。

                      そういったところの血流を改善した時に、とくに長い期間(数年単位の長い期間)
                      滞った部位の血流や神経が通り、動き出したときに起こります。


                       --------------------------------------------------------------------


                      はじめの『サルの入浴は自然か人工的か?』
                      ということに話は戻りますが、
                      難しい話では、私達はかなりの昔、私自身を認識したときから自然との解離は
                      始まったともいう人もいます。

                      入浴やヒトが造ったり行うこと。

                      それらは、積極的な生きる知恵として様々な人々が経験を通して試した結果が
                      今に残っているものだと思います。

                      本来人工物といわれるものも、人間という自然の中に生きる人々によるものと考え、
                      自然という大きな尺度でみた時には、アリ塚と本来的には何ら変わらないのかもしれません。

                      私たちは、入浴ということを経験的に学び、からだによいということで今日も続けている
                      ことがほとんどです。
                      (今ある歴史の時点で、ということでいえば途中の結果なのかもしれませんが)


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                      運動をしないで心拍が上がる(血流が上がる)という少し自然には反した手段という
                      のは否めませんが、運動ができない、苦手、時間が無い、という方でも誰でもできる
                      血流を上げて細胞の老廃物を洗い流し、一日の疲れがかなり手軽にとれる健康法だと思います。


                        なかなか時間がない世の中、シャワーだけで済ませたくなりますが、
                      週に一度か二度は、ゆっくりのんびりと『お風呂』に浸かって温まるだけで、
                      『溜まっている風邪が抜け』かなりの健康状態は維持できます(^o^)。



                      日本が世界の中でも長寿国の一つであるといわれていますが、
                      確かに戦後の栄養状態の改善等もあるのですが、その根底を支えているのは、

                      『日本人が大好きな入浴というもの』

                      であると感じています。


                      入浴の発明はサルなどでもできるようです・・・


                       --------------------------------------------------------------------
                      | まんひゅ〜 | 21:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - |